2016年7月17日日曜日

貧困からの脱出(自立と選択)

高校の時に生徒会の会長をしていて
その時の行事のひとつに「養護施設への慰問(募金持参)」が
あったけど
すごーく嫌だった。
自分も中学の時に親が家業を倒産させ高校進学時に商業科のある
高校を選択した。(大学進学など無理だとわかっていた。滑り止めの
私立も受験費用の数万が惜しくて受験しなかった。)
自分は、親が離婚せず(親戚は離婚しろ。と騒ぎまくっていた。)
なんとか、自分と妹達を高校卒業まで頑張ってくれた。

ちょっと道が違えば、自分も養護施設に入所していたと思う。
(高校進学時も東京の夜間高校の案内を手にしたこともある。
昼間働いて夜勉強ね。(たぶん、途中で中退していただろうね。))

だから、割りと中学の同級生からは外れていた。
自立しなければならないといつも思っていた。

奨学金が借金というのは、ホント大きな注意点だよ。
20歳前半で数百万の借金を背負うことの大きなプレッシャー
(特に精神面)は、生活費以上に負担だと思う。

養護施設の退所時の扱いが
驚きだね。10万円で身ひとつで18歳が住む場所も無いまま
社会に出るというのは、想像しただけでも絶望感がある。
(だから、高校時代にアルバイトしてお金を貯める。
が、住居費でほぼ半分近くは消えるだろうね。)
黒柳徹子さんなどが、この部分に対して
退所後の入居できる場所をつくる運動をしている。


日本再生と自民党や野党も言っているけど
高齢者も大事だけど
日本の未来を考えると
教育とこの部分に資金(税金)を投入するのが
一番、投資効率が良いんだけどね。

200万住宅ブログなんていうのを書いているのも
自立して安定した生活を少ない年収でも確立させたいから。
(その生活コストの大きな部分の住宅に焦点を当てている。)
自立するというのは
孤独である時も受け入れるということ。
(SNSやネットが広がっているのは、孤独になれない人。
繋がっていないと安心出来ない人が多いから)
簡単なようだけど
それが一番、難しい。(特に子供から少年少女の間はね。)


参照サイトから気になる点を覚書しておく。

児童養護施設は都道府県に590施設あり
乳児から18歳までの2万7468人の児童が入所する(2014年厚生労働省調べ)。
平田さんは大舎制と呼ばれる50人近くがいる大規模施設に入り
同じような境遇の子供たちとの共同生活となった。

ポイント
1,(養護施設)
養護施設から2~3年に1人、成績優秀な児童が現れる。
トップ公立高校に進学した児童を会報などで大々的にアピールし
大学に進学させるというのが意識の高い職員たちの
大きな目標とモチベーションになっていた。

2,(奨学金と進学)
「施設の先生たちには何度も大学進学を勧められたけど、
奨学金って借金じゃないですか。今思えば先見の明があったけど
就職できる保証もないのに借金するのはまずいって直観的に思って
だから進路は工業か商業高校に行きたいって希望した
けど、トップ高校に行けという圧力が強くて
滑り止めに私立を受けることで納得してもらいました。
与えてもらってなんだって話だけど
やっぱり施設の先生と私たちには大きな溝がありました」

3,(養護施設職員)
児童養護施設の職員は、福祉職の中では人気だ。希望者が多く
毎年春になると、福祉大学や福祉学科を卒業した目をキラキラさせた若者たちが
“恵まれない子供たちを助ける”というモチベーションで入職してくる。
みんな育った家庭も円満で、経済的にも精神的にも余裕がある人たち
だから、つねに違和感はありましたね。
結局、心の底でかわいそう、哀れな子って思われているのがわかって
最後の最後まで心を開くことはなかった」

4,
(友人関係)
いろんな意味で依存される。
精神的に経済的に頼られる。施設の子は中卒か高校中退が多いから仕事がない
結婚しても長続きしない。ほとんど全員が普通の生活ができていないです。
“保険証を貸して”ってしつこく頼まれたり
毎日電話がかかってきて“死にたい、死にたい、死にたい”って何時間も泣かれたり。
そこまで背負いきれないし、付き合えない」

5,(退所時)
退所のときは10万円くらい持たされて、身ひとつで出されます。高校卒業して就職までいける子は一握りで、結局、高校に行っても半分くらい中退しちゃう。それで施設を出てそのままフリーターです。生活できないです。本当にみんな経済的には苦しんでいる。そういう現実が小学生のとき、施設に保護されたときに見えたので、私はさっさと自分でおカネ稼げるようになるしかない、ってずっと思っていました」

6,(経済破綻&親&高校中退)
毎月母親に家賃補助として3万円を渡していたが、4カ月滞納していた。
高校3年の春、学費の納付時期も重なって経済的に破綻した。

 「高校を辞めざるをえなくなった。そんなときに家までなくなって、
もうどうにもならなくて、ただひとつの選択肢として寮付きの風俗店に行きました。
渋谷のピンクサロンです。風俗なんて何も知らないし、恐ろしいけど、仕方ないです。」

7,(経済破綻後)
月28日ほど、ほとんど休むことなく働き続けて、月50万円以上を稼いだ。
18歳の誕生日を迎える頃、100万円以上の貯金があった。
部屋を借りて寮を出た。
時給1300円のパチンコ屋のアルバイトが見つかったので、ピンクサロンは辞めた。

8,(結婚&離婚)
男も養護施設育ち、お互い寂しいこともあって軽い気持ちで結婚した。

 「当時、私はもう人生はあきらめていたので
生い立ちが似たような感じだからってだけで結婚した。
もし時間を戻せるんだったら、結婚していないです
。一緒に暮らすようになって、相手の借金が発覚して。300万円以上です。そして
再度の借金。離婚決意。離婚。

9,(経済的自立)
24歳。そしてITの仕事と出合う。ITバブルの絶頂期
ITの世界では、学歴は関係なかった。資格も急速な技術の進歩に追いつけず
すべて実力の世界。勉強をして実践しながら
派遣登録して高い時給の仕事に次々と移った。
最高額は時給5000円、月収100万円を超えたこともある。

10,
私は自力で生活できる手段を身に付けて、誰かに助けてもらおうと思わなかったってだけ。17歳で家がなくなってから、ずっと仕事をしているけど
別に仕事が好きなわけではない。ただ単価が高くて、選択肢の多い仕事を見つけて
これと思ったときに必死に勉強して働いただけです。
アンテナを張っていれば、学歴がなくても、カラダを売る以外の手段で貧困から抜け出す隙間とかチャンスはあるはずですよ

参照
貧困を脱した35歳女性が絶対に伝えたいこと

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