近所の独身引きこもりの方が亡くなった。(コミニュケーションと経済力)

今朝出勤前に、おふくろから「Aさんが、亡くなったよ。」と聞かされた。
そうかぁ。と思いながらも
「どうにか、ならなかったのか?。」と一日考えていた。

65歳の死去である。
年齢だけなら、今の平均寿命なら早いけど友人、知人では死亡報告が
時々、入る年齢でもある。

彼は、15年程前に
ひとり、都会から両親が亡くなった家に帰郷してきた。
兄弟は、それぞれ家庭を築き地元を離れている。
数枚ある田や畑を耕し、親の幾ばくの遺産で暮らしていた。

しかし、田舎ではよくある話で
農地は、どんどん地域の退職者が集まった農業地域運営会社へ
集約され、自分で耕す人も少なくなり
農機具も古くなり更新が必要になり
田の管理の話し合いの場へ出ることも少なくなり
(結局、労働力と生産量やコストバランスが合わなくなる。)
家に隣接する畑を耕す程度になっていった。

収入は、ほぼ無い状態で
親からの田畑や家があるから生活保護も受給出来ない。
(そもそも、申請時のコミニケーションに大きな壁が存在している。)
近所の人が、自宅前の軽トラの運転席にずっと座っている彼を
怪しんで問うと
「家の中が寒いので、ここに居る。」と応じた。

近所のおせっかいな女性が、食べ物を持って行っても
「何も返すこと(返礼)が出来ないから、いらない。」と言われた。
(まっ。この女性は、家のいらないモノ(野菜やお菓子)を近所に持っていき
そのお返しを期待する人だったので、近隣の住民は嫌がっていたのも確か。)

そして
今年の冬。倒れ。民生委員の人が病院へ。
数ヶ月前の話だった。

わてとは、歳が7つ以上離れていたので、子供の時も遊んだりした記憶も
なかったのだが、なかなか、凛々しくてイケメンであった記憶がある。
(確か、大学も卒業しているはずである。)

わてからすると
就職氷河期世代(今の40歳代)の行く末を薄っすらと寒々しき感じた
出来事である。

今のひきこもりや不登校、無職、老老介護等
あまりにも日本は、人が孤立化する状態が常に存在している。

人は、孤独には強くならないといけないけど、孤立すると
生きていけないのである。

彼の死を受けて
何か、アクションを起こしておくべきだったか?。
それは、いらぬお世話か?。
信頼関係を築けてもそこから今度は、寄りかかられることに変化
しないか?。という不安の存在。
わてが彼の立場(環境)だったら、どう動いていたか?。
つらつら考えながら、このところの寒暖の差に震え、汗をかき
毎日を過ごしている。

正解と言える答えは見つからない。

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