シェアハウス(ギークハウス越路)解散と地方と低年収に思う。
シェアハウスの地方版なんだけど
参照
ギークハウス越路
が
シェアハウスを解散するにあたってのエントリ
で、解散(閉鎖)について語っている。
追記
3月30日にサイトを確認したら
閉鎖されていた。
(わては、最近サイトを丸ごと保存出来るツールやスクリーンショットにて
テキストや画像を保存している。リンクだけで記録しておくと
後で読み返したい情報が消えている場合が増えているので。
いつまでも記憶が残るというのも困った問題が出て来るんだけど
自分に必要な情報が消えるのは、困るなぁ。)
地方で低年収で暮らすことについての共通問題点が
多々あるので、転記(一部)考察する。(転記は、一部要約もしています。)
解散理由
1,雪
200万住宅では、地方でも雪国や東日本(山陰、北陸、東北、北海道等)
などは、想定してません。(笑
瀬戸内海沿岸とか九州の海岸線沿いなどを想定。
といいのも
この雪という問題は、結構大変な面で
老後の行動とか病院、福祉、ライフラインの面で大きな障害になるから
それと
暖房費にかかる光熱費が、半端なくかかる。
2,お金の面
ほぼ1の中の暖房費が半端ない。(今年の豪雪も関係)
3,家賃未払い
転記
月3万で暮らせたらそんなに働かなくてもいいし残りは勉強時間に費やせるだろと思ったことが設立の背景にあり、知識やスキルのある、いわゆる高等遊民が集まる家を目指していたのですが、結果的にそうはならず、若者だけではなく地方の貧困を実感することとなりました。
「地方に残っている人」と「わざわざ住みに来る人」の中で高等遊民的な人の割合が少なそうであることもわかっていて、どんなタイプの人もなるべく受け入れるようにしていたのですが、世界でもかなり安い方だと思われる毎月1万そこそこの家賃が支払えず何ヶ月も滞納する人が何人もいたのは想定外でした。
地方の過疎対策での人口誘致には、
「お金ないしあんまり働きたくないので地方でのんびり生活したい」層を誘致するほうがよっぽど現実的で、そのためにはアドバルーン監視のようなゆるいバイトだけを集めた求人サイトやシェアハウスに楽な仕事が定期的に斡旋される仕組みがあるといいのですが、これって自治体の協力が不可欠なんですよね。
(コミュティを維持していくには、下記で書かれているように
リーダーの存在が大きい。宗教団体や農業系のコミュティもほぼリーダー(革命的)
の死去により衰退や拡張路線変更などが行われる。
(話は、脱線するけど創価学会の池田氏は、もう亡くなっているはず。(一応
週刊誌がちょっと報道)近年の創価学会が宗教路線から互助会的路線になったのも
関係性があると思う。あれだけのリーダーの死去をマスコミが報道しないのも
すごーく残念。報道の自由とか言うけど、自分達で報道選択の自由に
しているのが、自分で自分の首を絞めてる感が今のマスコミ(報道各社)には
感じられる。)
自立を求める側と安易な寄りかかり(自立能力が低い)側との差は
結構でかいと思う。
だから、コミュティとかシェアという事業やシステムは、なかなか難しい。
(上手くいっているように見えるシェア事業とかコミュティは
よく見ると貧困ビジネスだったりする。)
4,大きい家と法律
転記
一定以上の大きい家は法律的にいろいろ制約があって改修に多額の費用がかかるそうです。シェアハウスの先を考えたときに自治体の協力が不可欠だが、自治体は法律監視だけで協力しない。
(これは、そうなんだよね。だから小屋とかタイニーハウスで個々の分離した
自立生活拠点を作って、そこの管理運営とかは自分(個人)に帰属させ
食事とか風呂や仕事を集会所的な家で運用するという方向性もありかと思う。
収入の道が個々に確立されたら、共有協力部分からの一部離脱などもあり。と
すれば、いいな。
これの距離感の取り方とお金(運用費用)の面が割りとリーダー依存になりがち。
そこをどうするか?。だと思う。)
最後に述べられた点
ギークハウス越路をやってみて一番感じたことは「一人の信念だけでは続かない」ということです。
自治体はもちろん、近隣の方、住民全員など多くの人が欠けることなく協力してくれることがどうしても必要になってきます。
日本の地方、ヨーロッパや東南アジアに住んだ経験から比較しても「まだ終わってない」といえますが、終わりゆくあるのも事実だと思います。
足りないのは柔軟性、あと見守る目。40過ぎたら一線から退くみたいな文化が他の国にはありますので、あとは志ある若い人が意志をついでくれたらと思います。
それと若い人はなるべく早く海外に出て、10年で人口が3倍になるような街に住みいろいろ感じて、成熟して地方に帰ってきてほしいと思います。
参照
ギークハウス越路
が
シェアハウスを解散するにあたってのエントリ
で、解散(閉鎖)について語っている。
追記
3月30日にサイトを確認したら
閉鎖されていた。
(わては、最近サイトを丸ごと保存出来るツールやスクリーンショットにて
テキストや画像を保存している。リンクだけで記録しておくと
後で読み返したい情報が消えている場合が増えているので。
いつまでも記憶が残るというのも困った問題が出て来るんだけど
自分に必要な情報が消えるのは、困るなぁ。)
地方で低年収で暮らすことについての共通問題点が
多々あるので、転記(一部)考察する。(転記は、一部要約もしています。)
解散理由
1,雪
200万住宅では、地方でも雪国や東日本(山陰、北陸、東北、北海道等)
などは、想定してません。(笑
瀬戸内海沿岸とか九州の海岸線沿いなどを想定。
といいのも
この雪という問題は、結構大変な面で
老後の行動とか病院、福祉、ライフラインの面で大きな障害になるから
それと
暖房費にかかる光熱費が、半端なくかかる。
2,お金の面
ほぼ1の中の暖房費が半端ない。(今年の豪雪も関係)
3,家賃未払い
転記
月3万で暮らせたらそんなに働かなくてもいいし残りは勉強時間に費やせるだろと思ったことが設立の背景にあり、知識やスキルのある、いわゆる高等遊民が集まる家を目指していたのですが、結果的にそうはならず、若者だけではなく地方の貧困を実感することとなりました。
「地方に残っている人」と「わざわざ住みに来る人」の中で高等遊民的な人の割合が少なそうであることもわかっていて、どんなタイプの人もなるべく受け入れるようにしていたのですが、世界でもかなり安い方だと思われる毎月1万そこそこの家賃が支払えず何ヶ月も滞納する人が何人もいたのは想定外でした。
地方の過疎対策での人口誘致には、
「お金ないしあんまり働きたくないので地方でのんびり生活したい」層を誘致するほうがよっぽど現実的で、そのためにはアドバルーン監視のようなゆるいバイトだけを集めた求人サイトやシェアハウスに楽な仕事が定期的に斡旋される仕組みがあるといいのですが、これって自治体の協力が不可欠なんですよね。
(コミュティを維持していくには、下記で書かれているように
リーダーの存在が大きい。宗教団体や農業系のコミュティもほぼリーダー(革命的)
の死去により衰退や拡張路線変更などが行われる。
(話は、脱線するけど創価学会の池田氏は、もう亡くなっているはず。(一応
週刊誌がちょっと報道)近年の創価学会が宗教路線から互助会的路線になったのも
関係性があると思う。あれだけのリーダーの死去をマスコミが報道しないのも
すごーく残念。報道の自由とか言うけど、自分達で報道選択の自由に
しているのが、自分で自分の首を絞めてる感が今のマスコミ(報道各社)には
感じられる。)
自立を求める側と安易な寄りかかり(自立能力が低い)側との差は
結構でかいと思う。
だから、コミュティとかシェアという事業やシステムは、なかなか難しい。
(上手くいっているように見えるシェア事業とかコミュティは
よく見ると貧困ビジネスだったりする。)
4,大きい家と法律
転記
一定以上の大きい家は法律的にいろいろ制約があって改修に多額の費用がかかるそうです。シェアハウスの先を考えたときに自治体の協力が不可欠だが、自治体は法律監視だけで協力しない。
(これは、そうなんだよね。だから小屋とかタイニーハウスで個々の分離した
自立生活拠点を作って、そこの管理運営とかは自分(個人)に帰属させ
食事とか風呂や仕事を集会所的な家で運用するという方向性もありかと思う。
収入の道が個々に確立されたら、共有協力部分からの一部離脱などもあり。と
すれば、いいな。
これの距離感の取り方とお金(運用費用)の面が割りとリーダー依存になりがち。
そこをどうするか?。だと思う。)
最後に述べられた点
ギークハウス越路をやってみて一番感じたことは「一人の信念だけでは続かない」ということです。
自治体はもちろん、近隣の方、住民全員など多くの人が欠けることなく協力してくれることがどうしても必要になってきます。
日本の地方、ヨーロッパや東南アジアに住んだ経験から比較しても「まだ終わってない」といえますが、終わりゆくあるのも事実だと思います。
足りないのは柔軟性、あと見守る目。40過ぎたら一線から退くみたいな文化が他の国にはありますので、あとは志ある若い人が意志をついでくれたらと思います。
それと若い人はなるべく早く海外に出て、10年で人口が3倍になるような街に住みいろいろ感じて、成熟して地方に帰ってきてほしいと思います。
200万住宅ブロク的にも
日本の地方は、まだ終わっていない。と思う。(終わりゆく過程であるけどね。)
適切な地域循環型社会に再構築出来れば
低年収でも豊かな心安らぐ生活は、構築出来ると思っている。
コミュティとシェアについては
期待しつつ、追いかけていきたい。
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