AERAの5月25日No22「格差と貧困」を読む。

自分は高度経済成長期に幼少(小学から高校まで)を過ごしてきた。

中学3年時に家業当時で億以上の借金を抱えて年商が2千万位という状態で
倒産した。
高校進学時に当時は公立と私立を受験するのが普通だった。
(私立は、公立が落ちた時とか公立受験の予備試験みたいな感じ)
その受験料が払えなくて、公立(職業高校)だけ受けた。
私立の受験日には、自分と中学を卒業後、家の都合で就職する近所の幼馴染と
静かな中学の校舎で語りあったことを時々思い出す。
中年の47歳で結婚したのもそれまでの
借金の多さと家業の不安定さが原因だったこともある。
結婚して嫁の実家が平均的家庭(サラリーマンの親で、兄弟姉妹も普通に進学)
だったけど、価値観が違うなぁ。と自分の人生を振り返りもしたわ。(笑

そうそう、倒産後
しばらく親戚宅から中学に通ってもいた。

その後、なんとかオヤジは銀行取引停止の中でも街金から借金したり
手形を同業者に割り引いてもらったりして家業を少しづつ立てなおしていった。
(当時の街金(この地域で有名な)の社長に後日、「私がお金を貸して立ち直った
会社は、あんた所だけだよ。」と私が後継者として家業を継いだ時に言われた。)
なんとか、銀行取引も再開出来。(それまで、ほぼ金利(街金)だけに追われていた。)
借り入れを銀行の融資に変更も出来、オヤジの癌での死去まで家業を続けられた。
借金もなんとか手の内で処理できるまでにした。

高校卒業時も学年で就職する男は、普通科、商業科を含めて150名中私を含めて
3名だった。
(他は、大学や専門学校へ)

それでも
まだ今の貧困の中にいる少年や少女達よりも恵まれていたと思う。
少なくとも小学校時代と中学時代の2年までは、本を読むこと。勉強する時間が
あった。(まっ。今の私の基礎など中学2年までの蓄積だけだと思うわ。)

周りを見渡しても
少なくとも小学校と中学校まで、なんとか平均的な生活が送れるか。否か。で
大きくその後が変わっている人が多いと思う。

貧乏でも心豊かに暮らす。なんていう清貧なんていう言葉も流行ったけど
貧乏で心豊かに暮らすには
貧乏でも暮らせるという技術的蓄積や精神的安定、健康状態の良好が
必要なんだよね。
そして、そういう技術は一時的でも安定した生活が送れる時に将来、貧乏に
なった時の為に、料理や情報を得る方法(行政や社会保障制度の利用方法)や
金利(ローンやクレジット金利についてや、複利と単利の違いとか借り入れ方法)
などを学んでいる必要があるんだ。

中学の家庭科などは、少なくとも金融や生活基礎技術(サバイバル的な)を
教えるべきだと思う。(性教育も含めて)

自分の属している集団だけが「この世の中」「社会」だと思わず
色々な価値観の人と交流もするべき。


ここに簡単に書いてるけど、それは本当、難しいんだよ。貧困とかどん底の中にいる
状態が続くと変化を求めてもしようがない。という精神になる。
(周りの環境も引き止める力が強いんだよ。変化を求めず同類としての存在を
強要しようとする。)

幼児から小学、中学卒業までは、なんとか貧困の中から希望を見つけられるように
行政も教育も大人も手を積極的に差し出す状態にしないと
日本は、暗い未来しかないと思うなぁ。

若い人そして新しく生まれてくる人ほど新しい環境に適応して生まれてくるんだよ。
だから
年寄りや先に生まれた者は、若い人や子供に学ばなければならない。
そう、旧人類は新人類に学ぶべきなんだ。

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